ジョルジュ・ルオー=聖なる芸術とモデルニテ=

見どころ

《秋 または ナザレット》部分 1948年 ヴァチカン美術館蔵 Photo ©Governatorato S.C.V. - Direzione dei Musei

本展覧会の見どころ

1.ヴァチカン美術館が初めて日本に出品する作品を含む4点を公開します。

《聖顔》 1946年頃
ヴァチカン美術館蔵
Photo ©Governatorato S.C.V. - Direzione dei Musei
《パックス(平和)》 1948年
ヴァチカン美術館蔵
Photo ©Governatorato S.C.V. - Direzione dei Musei
《秋 または ナザレット》 1948年
ヴァチカン美術館蔵
Photo ©Governatorato S.C.V. - Direzione dei Musei
《聖心》 1951年
ヴァチカン美術館蔵
Photo ©Governatorato S.C.V. - Direzione dei Musei
*七宝作品
ヴァチカン美術館とルオーの関係
1948年、イタリアを訪れたルオーは、教皇ピウス12世にヴァチカンで謁見し、《秋 または ナザレット》を教皇に献納しました。
1960年代には、教皇パウロ6世が、ヴァチカン美術館に現代美術の展示室を開室しようと望み、その姿勢に共鳴したルオーの娘イザベルが父親の作品を寄贈、さらに同時代のフランスの画家にも協力を呼びかけました。
1973年に現代美術コレクション展示室がオープン。ルオーの作品を展示する部屋も準備されました。
ルオー財団には、教皇からルオーへ贈られた勲章や、イザベルへの感謝状が保管されています。

2.パリに所蔵されるルオーの代表作や、特に晩年の傑作が集結します。

《ヴェロニカ》 1945年頃
ポンピドゥー・センター パリ国立近代美術館蔵
Photo ©Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / image Centre Pompidou, MNAM-CCI / distributed by AMF
《受難(エッケ・ホモ)》 1947-1949年
ヴポンピドゥー・センター パリ国立近代美術館蔵
Photo ©Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / image Centre Pompidou, MNAM-CCI / distributed by AMF
《エジプトへの逃避》 1946年頃
ポンピドゥー・センター パリ国立近代美術館蔵
Photo ©Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / image Centre Pompidou, MNAM-CCI / distributed by AMF
《キリスト教的夜景》 1952年
ポンピドゥー・センター パリ国立近代美術館蔵
Photo ©Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / Philippe Migeat / distributed by AMF
《サラ》 1956年
ジョルジュ・ルオー財団蔵
《夏の終わりV》 1952年頃
個人蔵(ルオー財団協力)

3.ルオー芸術の真髄である「聖なる芸術」をテーマに、画家が目指した最も美しい愛のかたちを存分に紹介します。

敬虔なキリスト教徒であり、全ての作品に信仰を込めたルオーの絵画の真髄を“聖なる芸術”として取り上げます。友人より「世界に愛の最も美しい形を与えるのが君の務めだ」と説かれたルオーが、革新的な造形表現で描く愛に満ちた美しい世界を、油彩、水彩、版画、資料など約140点を通して紹介します。
《マドレーヌ》 1956年
パナソニック 汐留ミュージアム蔵
《盛り花I》 1949年
ジョルジュ・ルオー財団蔵
*ステンドグラス

章編成

第1章 ミセレーレ ── 甦ったイコン

父の死と第一次世界大戦の悲惨に直面したルオーが主題を進化させた版画集。1912年に構想がはじまり、1927年に完成、そして1948年に出版された。本版画集には、「聖顔」「磔刑」「母子像」「古き場末」「受難のキリスト」といったルオーの聖なる芸術のテーマが集約されている。版画作品のほか、下絵、未採用作品や類作をあわせて『ミセレーレ』の重要性を問い直す。

第2章 聖顔と聖なる人物 ── 物言わぬサバルタン

キリストの顔貌のみを正面から描くルオーの「聖顔」は、早くも1904年に登場し、『ミセレーレ』で図像として確立、最晩年に至るまで描かれ、数あるルオーの主題の中でも特異な存在といえる。ルオーが強い関心を持っていた「トリノの聖骸布」や「ヴェロニカの聖顔布伝説」にも注目しながら、その創作の背景と作品に込めたメッセージに迫る。また、鞭打たれたキリストや火刑に処されたジャンヌ・ダルクなど、「被抑圧者(サバルタン)」としての聖なる人物をいかにルオーが表象したかを紹介する。

第3章 パッション[受難] ── 受肉するマチエール

1927年頃から構想された版画集『受難』を起点に、「受難」に関連して創作された図像や後年の大作を取り上げ、「受難」のテーマにおけるルオーの宗教的ヴィジョンを紹介する。また、1930年代以降、版画と油彩画の制作を往復しながら、ルオーの油彩画は大きな変化を遂げる。油彩画の技法は従来の「削り取る」手法から「積み重ねる」手法に移行し、成熟していくマチエールがあたかも「受肉」し、「物質」に変貌したかのような変化をみせている。

聖なる空間の装飾

ルオーの原画に基づいて制作された、七宝細工やステンドグラス、タペスリーなどの工芸作品を紹介。これらの多くは、教会建築や祭具などを彩る装飾のために制作されたものである。制作の主な依頼者は、聖職者、修道院の工房であるが、それはカトリック教会でルオーが築いた人脈をうかがい知る手がかりといえる。あわせて、ルオーとローマ教皇、そしてヴァチカンとの繋がりを伝える資料も展示する。

第4章 聖書風景 ── 未完のユートピア

1930年以降、風景画はルオーの制作の中核をなし、風景の中にキリストの姿が暗示される。神秘の光に変容した色彩に溢れるルオーの「聖書風景」は、この世にはないある種のユートピアの表象とも考えられる。この章では、聖書の物語に由来する様式とルオー独自のキリスト教的ヴィジョンが絵画化された様式との二つに分けて紹介。いずれも親密な雰囲気が画面を見たし、創造主や自然に対する愛を賛美するかのようなルオー晩年の境地が絵の具の豊かなマチエールに溶解している。

ジョルジュ・ルオー略歴(1871-1958)

1871年 (0歳) 5月27日、パリ19区ベルヴィル地下下町の中心ラ・ヴィレット通り51番地の地下倉庫で生まれる(第2子)。父アレクサンドル・フランソワ・ジョゼフ・ルオーはプレイエル・ピアノのニス塗り職人、母マリー=ルイーズ・アレクサンドリーヌ・シャンダヴォワーヌは、ケス・デバルニュ(貯蓄金庫)の従業員。
6月25日、パリ1区レ・アール地区のサン=ルー教会でカトリックの幼児洗礼を受ける。
1885年 (14歳) ステンドグラス職人マリウス・タモニのもとで2年間修行を行う。
1886年 (15歳) ステンドグラス職人エミール・イルシュのもとに弟子入りする。
1890年 (19歳) 12月3日、パリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)のジュール=エリー・ドローネのアトリエに入る。(ドローネは翌年死去)。
1892年 (21歳) 3月13日、ギュスターヴ・モローのアトリエに入る。モローの弟子には、アンリ・マティス、アルベール・マルケ、レオン・レーマン、ルネ・ピオらがいた。
1894年 (23歳) 7月《学者たちの間の幼きイエス》がシュナヴァール賞を受賞。
1895年 (24歳) 3月、マティスが正規学生としてモローのアトリエに入学。
初めて聖体拝領を受ける。
初めて出品したフランス美術家協会サロンで、《学者たちの間の幼きイエス》が賞を獲得する。
1898年 (27歳) 4月18日、モローが死去。ルオーはエコール・デ・ボザールを退学。
1900年 (29歳) 4月15日-10月15日、グラン・パレ開催のパリ万国博覧会の美術展に《学者たちの間の幼きイエス》を出品し、銅メダルを受賞。
1901年 (30歳) 作家ジョリス=カルル・ユイスマンスと出会う。
1902年 (31歳) モロー美術館の館長(コンセルヴァトゥール)として任命され、毎週月曜日に訪問客を迎え入れる義務を負う。
アルベール・マルケとともに、パリ9区クリシー広場近くのアトリエを借りる。
1903年 (32歳) 1月14日、ギュスターヴ・モロー美術館が正式に開館。
エドガー・ドガと知り合う。
マティス、マルケ、ルネ・ピオらとサロン・ドートンヌ創設に尽力。
1904年 (33歳) 4月21日、レオン・ブロワと知り合いブロワが亡くなるまで友情は続く。
1905年 (34歳) 10月18日、第3回サロン・ドートンヌで、マティス、マルケ、ドラン、マンギャンらの作品を批評家ルイ・ヴォークセルが「フォーヴ(野獣)」と命名する。
1907年 (36歳) セラミック職人アンドレ・メテの工房に足繁く通い、セラミック作品を発表するようになる。また、メテの工房で画商ヴォラールと出会う。
1908年 (37歳) 1月27日、マルト・ル・シダネル(画家アンリ・ル・シダネルの妹)と結婚。
(その後4人の子どもに恵まれる。)
1910年 (39歳) 2月24日-3月5日、ウジェーヌ・ドリュエ画廊で最初の個展を開催。
1911年 (40歳) 作家のアンドレ・シュアレスと知り合う。
1912年 (41歳) 6月、父アレクサンドルが死去。『ミセレーレ』制作の出発点となる。
1914年 (43歳) 第一次世界大戦布告
1917年 (46歳) ヴォラールが専属的画商となる。
1919年 (48歳) 10月17日、油彩画《学者たちの間の幼きイエス》がオー=ラン県コルマールのウンターリンデン美術館に初めて収蔵される。(=国家が購入した最初の作品)
1925年 (54歳) 4月、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章を受章。
1933年 (62歳) 《聖顔》(チェスター・デール夫人蔵)がリュクサンブール美術館に寄贈される。(=パリ国立近代美術館が最初に所蔵したルオー作品)
1939年 (68歳) 『受難』(アンブロワーズ・ヴォラール社)が出版される。
7月22日、ヴォラール死去。
9月、第二次世界大戦勃発。
1944年 (73歳) ルオーの住居がドイツ軍によって占領され、《自画像》(1895年)など数点の作品が引き裂かれる。
1945年 (74歳) ニューヨーク近代美術館で初めての回顧展が開催される。
1948年 (77歳) 教皇ピウス12世にヴァチカンで謁見。
1951年 (80歳) レジオン・ドヌール3等勲章(コマンドゥール)を受章する。
モーリス・モレル神父監修の映画『ミセレーレ』がシャイヨー宮(パリ16区)で上映される。
1952年 (81歳) 7月9日-10月26日、大回顧展がパリ国立近代美術館で開催される。
1953年 (82歳) 大聖グレゴリウス3等勲章(コマンドゥール)を受章。
1956年 (85歳) 教育功労(パルム・ザカデミック)勲章を受章。
1957年 (86歳) 《秋 または ナザレット》を教皇に献納。
フランス大統領ルネ・コティーのヴァチカン訪問に際し、法王ピウス12聖に『ミセレーレ』を献呈。
芸術文芸(デ・ザール・エ・デ・レットル)勲章を受章。
タピスリーに仕立てられた《聖顔》が、ノール県エム礼拝堂の祭壇に飾られる。
1958年 (87歳) 2月13日、ルオー死去。2月17日、フランス政府により国葬。
1965年 - 法王パウロ6世がニューヨークの国連本部にルオーの作品(キリスト像)を寄贈。
1973年 - ヴァチカン美術館に現代美術コレクション展示室がオープン。ルオーの作品展示室も準備される。
2016年 - 4月23日・24日、ローマ法王フランシスコは、ミサ(サン=ピエトロ広場)でルオー作《キリスト》(クリーヴランド美術館蔵)をデザインした十字架のペンダントを参加した若者たちに配布。